「天使のゆりかご」

( プロローグ )



 ――土曜日/朝――


 車道の両脇に並んだ街路樹と、駅から住宅街まで、通学路を通る一本のバス。
 市の中心地では、天幕に覆われた建造中のドームに、たくさんの小鳥が集まる。
 抜けるような空に、流れる雲は、今日という週末が素晴らしいことになる予感を、この治々美(ちぢみ)市の人々に感じさせていた。
 行き交う人々の声を、なつかしくすら感じている、一人の少年を除いては……。




「……今日は何日だ、リカコ」
 換気ダクトからわずかに差し込む光のおかげで、日中か日没後かだけが解る、薄暗い地下室。
 手首と足首を固定され、椅子に縛り付けられた彼は、うなるように言った。
 その視線の先には、血みどろの斧やら鎌やら三角木馬やらに囲まれて、薬品棚を確認している少女がいる。
 なぜかスクール水着に白衣を羽織るという変な格好の少女は、くるりと振り向くと、彼に人差し指を突きつけた。
「リカコじゃないでしょ! この研究室にいる間! 私は天才科学者、リチャコなのよ!」
「……ああ、うん。そうだったな」
 一歳だけ年下の彼女の言行に、今さらツッコミを入れる気力は、今の彼にはなかった。
「ちなみに今日は13日。ふふふ、超人の誕生にふさわしいわ……金曜日は昨日だったけど」
「そうか……なんとか、間に合いそうだな」
 ――13日。
 この地下室に拘束されて、早くも一週間。
 学校一の『天才を通り越して変態』と称される、島里佳子(しま・りかこ)の肉体改造プランの最終日だった。
「待たせたわね、有家公斗! あなたは今日を以て! 地上最強の人類になるわ!」
 白衣をたなびかせて宣言したリカコの手にした薬瓶に、彼――有家公斗(ありけ・こうと)は、不敵な笑みを浮かべた。
「早くしてくれ。約束は、今日の昼からだ」
「おっけー♪ うっふっふ、超すごい公斗に気づいた白亜ちゃんの顔が見たいわ~」
 とてとてと歩いてきたリカコは、手にした注射器……を、放り投げた。
「ほい、イッキ」
「ぶっぐふ!?」
「だいじょうぶ、量はないから」
 確かにリカコの言ったとおり、ひとくち分しかなかったが――
「に……苦い……ッツ!?」
「は、吐かないでよ? これ作るのに一ヶ月かかるんだから!」
「ぐぅ……解ってる!」
 なんとか堪えて、ごくりと飲み干す。
 リカコは、ほっと安堵した時のクセで、頬を人差し指で掻いた。
「あー、よかった。アレを庭に埋めて腐らせるの、大変なのよねぇ」
「……おい。たった今、吐きたくなったぞ。アレって何だ」
「そんなことより、どう? 気分は?」
 リカコはわくわくしている様子で揉み手しながら公斗の拘束を解除する。
 手のひらや、対面の鏡などを見るが、外見に差はない。
「なぁ、本当に効果があったのか? 俺にはあんまり……」
「試してみりゃ、解るわよ……」
 ガコン、と背後で音がして、公斗は顔を上げた。
 鏡に映る自分の後ろに――
 チェーンソーを振りかざしたリカコの姿が。
「ふん!!」
「おわああああ!?」
 さすがに驚いて立ち上がった瞬間、リカコのチェーンソーが拘束椅子をまっぷたつに切り裂いた。
「こ、こここ殺す気かァァ!」
「やだなぁ、公斗。私がそんなミスするはずないじゃん?」
 にっこりと、リカコは満面の笑みになる。
「このチェーンソーはね、人工知能を搭載した、私の相棒なの! 急所を確実に外してくれるわ!」
「……つまり、死ぬほど痛くても死にはしない、と?」
「どう?」
「どう? ……じゃねえよ! 最悪だろうが!」
 小首を傾げるリカコに、公斗は叫ぶ。リカコは「ちっ」と舌打ちした。
「……最強の盾と矛をぶつけて見たかったのに……」
「なんか、それ……どっかのマンガで結論が出てたな。『どっちも壊れる』とか何とか」
「ま、チェーンソーは勘弁してあげるわ。こっちでいいや」
 ガションと刃先を床に突き立てたリカコは、いつの間にか天井から下がっていたロープを引っ張った。
 ――ぐい。
「ん?」
 物音に気づいて上を見た公斗の真上に――鉄塊が降ってきた。
 逃げる間もなく直撃する。
「ごわー!」
「うふふふふ、あまいわね公斗は! ……で、どんなかんじ?」
「ど、どんなって……おまえな。大ケガに決まって…………あれ?」
 砕けた床から這い出してきた公斗は、自分の体の異変に気づいた。
 正確には、何の異変もないことに気づいた。
 確かに直撃した時には痛かったが、体には骨折どころか、すり傷や出血すらない。
「これが……『最高の盾』ってことか、リカコ?」
「ちっがーう! リチャコって呼べ! そこは譲らない!」
「……おまえの言う『最高の盾』ってことでいいか?」
 名前ではなく『おまえ』呼ばわりに変えると、リカコは『ばさぁ!』と派手に白衣を広げた。
「いかにもッ! 深海10000メートルの水圧だろうが、小惑星の衝突だろうが、耐熱・耐寒・耐電気! どんな状況にも耐えられる!(※ 計算上は)」
「おい、カッコの中が声に出てるぞ。べつにいいけど」
「その身体能力があれば! 白亜ちゃんのオトウサマに勝つこともできるはず!」
 びしぃ! とリカコは地下室の出入り口を指差した。
「さぁ、行きなさい! そして、白亜ちゃんと逆・玉の輿――じゃなくて! 私のパトロンをゲットしてきなさい!」
「本音がより悪化してるぞ……まぁいい、約束だからな。告白の成功を祈っててくれ」
 リカコの言葉に頷くと、公斗は一週間ぶりの外界に出て行った。
 それを見送り、ふぅっ、とリカコは一息ついた。
「ま、何はともあれ、私にできることはしたわね……がんばりなさいよ、公斗」
 散らかった部屋を目立つところだけ片付けてから、リカコは地下室を出て、二階にある自分の部屋に向かった。
 飼っているうちに愛着がわいてしまった、ハツカネズミのジャックにエサをあげる時間だ。
 公斗に飲ませたのと同じ薬品で無敵のハツカネズミになったジャックの檻に、昨日、お年頃のメスのハツカネズミを一緒に入れておいた。
「うふふ。ジャックったら、昨日はきっとがんばっちゃったわね♪」
 ひょいと檻の中を覗き込むと――メスのハツカネズミの隣に、とても小さいネズミがいた。
「お♪ もう生まれたのかしら? ……あれ?」
 なぜか、どこにもジャックがいない。
 ジャックにつけてあげたはずの青いリボンを、小さいネズミが身につけている。
 リカコは、ぽかんと目を丸くした。
「……へ? どゆこと?」


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