「小悪魔なんてガラじゃない」

( 6 )




「……ふふ。やっと来てくれたのね、伊月」

 病床に伏した美女は、ベッドの上で体を起こした。
 私が来ると、「今日は具合がいいの」、と必ず言う。
 だが、それは嘘だ。

「……おとなしく寝ていろ。メイシア・ソラツオーベル」
「襲わない?」
「右腕……真珠まで部屋から追い出したな。用件は何だ?」

 ベッドの脇に腰掛けた私に、彼女は微笑んだ。

「……私は、もうダメよ」

 弱々しい声音だった。
 私が若い頃、聞いた声とは、打って変わって力無い声。
 ……しかし、他ならぬ彼女自身の声を、私が聞き間違うはずはない。

「諦めるな。研究者は揃えた。薬学、医学、生物学……、それに研究費用もある」
「そのために何人、犠牲にしたの?」
「…………」

 今さらな問いだが、それを彼女には言いたくなかった。
 だが、彼女は私のためらいを見透かしたように笑い飛ばす。

「伊月。私をあなたにあげる」
「……ちがう。私は」
「ずっと私が欲しかったんでしょ?」

 彼女は無理に体を起こした。
 思わず手を引きそうになった私の手を、すっと握りしめる。

「あなたしか頼れないの。どうか、リリィを……お願い……」




 ――試験管に囲まれた実験室で、私はため息をついた。

「……私には、あの日から、君の姿しか見えていない」

 ――だから君には、私だけを見て欲しかった。
 私の「人生」は、それだけだ。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 ――決行の日――


 ――リリィは、22歳。


「失礼いたします、丈斗様」
 コン、コン、とドアをノックするリリィ。
 返事を待たずに、彼女は扉を開けた。
 書斎には人影がない。彼女は迷わず、奥の寝室に向かった。
「もう……丈斗様。真珠以外の作る夕飯は、お口に合いませんか?」
「……勝手に入って来るなんて、ひどいな」
 布団を引き寄せて子供のように隠れながら、丈斗は言った。
「晩餐会なんて行かない。何度も言ってるじゃないか、僕は」
「なぜですか? 年頃の、きれいなお嬢様だって、大勢いらっしゃるのに」
「…………」
 ――それが嫌なんだ。
 丈斗は、布団の端を握りしめた。
 ギシッと音がして、ベッドの端が沈み込む。リリィが腰掛けたのだ。
「……どなたか、想い人でも?」
 丈斗の心臓が高鳴った。
 それを知ってか知らずか、リリィの手が、そっと布団越しに丈斗をなでる。
「伊月家は、裏でも有力な権力者……。その次期当主なら、女のひとりやふたり、手ごめにできなくては」
「それがメイドであっても、かい?」
 丈斗はベッドの上で身を起こし、リリィを見つめた。
 勢いで言ってしまった丈斗の顔が、かぁっ、と赤くなる。
「……あ、いや、その」
 間近でリリィの顔を見て、頭に熱がのぼってしまう丈斗に、リリィは微笑んだ。
「庭の花畑で、薔薇をいただいたあの日から、私の想い人はただひとり」
「え……?」
 ドクンと丈斗の胸が高鳴る。
「り……り、リリィ。僕も、あ、あの日から――」
 そっとリリィの人差し指が彼の唇を押さえた。
「そのお言葉は、相手の本性を知った上で言うものですわ」
「ど、どういう意味だい?」
「……明日の朝、あなたの口から、同じ言葉をお聞きすることができたなら」
 リリィは胸の谷間から取り出した小瓶を開け、中の「薬」を丈斗の首筋に垂らした。
「あなたの想いに応えさせてください……ね」
 薬を浴びた丈斗の体が、徐々に小さくなっていく。
 寂しげに微笑むリリィの姿が、大きくなっていく。
 胸だけで山のような大きさのリリィは、丈斗から見て、山をも越える巨人となっていた。
「り、リリィ!? さっきの薬は……地下室と関係してるのか!?」
「……ご存知でしたか。丈斗様も」
 リリィの手が、ぐぉっと風を巻き起こしつつ丈斗に迫る。
 丈斗は逃げだしたが、3センチもない体は、簡単に指先でつまみあげられてしまった。
「は、放してくれ! 僕をどうする気だ?」
「何もする気はありませんわ。ただ、少し……気持ちよくするだけ」
 リリィは捕まえた丈斗の小さな体を、ねっとりと丁寧に舐めた。
 少し乱暴に唾液を塗り込まれ、甘い吐息を吸い込んだ丈斗はビクンと震えた。
 くすっとリリィは笑う。
「……女って怖いですわね、丈斗様」
 十字架の形をしたペーパーウェイトに、丈斗を縛り付ける。
 その頃になって、ようやくミナが部屋に入ってきた。
「リリィちゃん、地下室の入り口……見つかったよ」
「結構ですわ。早く済みそうですわね」
 リリィはそう言うと、丈斗を振り向いた。
「……お加減はいかがですか、おぼっちゃま」
 十字架にハリツケられた丈斗を見下ろして、彼女の青い瞳が優しく微笑む。
「リリィ……」
 丈斗が彼女の名前を呼ぶと、リリィは、くすっと微笑んだ。
 ほんの一瞬、幼い頃の笑顔が過ぎる。
 豊かに膨らんだ胸は、確かにあの頃の彼女とは違う。それどころか、こんな大それたことをするなんて。
 ――メイドが主人に逆らうなんて、聞いたことがなかった。
 ましてや、この屋敷――『伊月家』でだなんて。
 丈斗が思考を巡らせようとした次の瞬間、彼の視界は真っ赤なルージュを塗られた唇でいっぱいになった。
「んむっ……くちゅ……」
 柔らかく、弾力のある唇が、丈斗の顔全体を包み込むように押し付けられる。
 甘い吐息の香りがした。
 二、三度、唇の端で彼の顔を揉むように味わった後、リリィは離れた。
 肩から上に唾液がついてしまったが、ハリツケ状態の丈斗にはどうしようもない。
「続きは、全て終わってから。
 おぼっちゃま――いいえ。私の、伊月丈斗様」
 私の、のところを強調しながら片目をつむって見せたリリィは、くるりときびすを返して部屋を出て行った。
 この間、ずっと机の脇に立っていたミナは、引きつった笑顔でリリィを見送った後、じろりと丈斗をにらんだ。
「お熱いねぇ……た・け・と・さ・ま?」
「からかわないでくれ、ヒナ」
「ミナだよ、ぼっちゃん! 間違えるような難しい名前じゃないよね!?」
 ずずいっと丈斗に顔を寄せて、まくしたてるヒナ……もとい、ミナ。
 リリィと比べればプレッシャーはないが、それでも今の丈斗にとっては巨人だ。
(……何をするつもりなんだ、リリィは?)
 丈斗には、リリィの内心を計りきることができなかった。




◆◇◆◇◆◇




「……くそ。どうなってるんだ」
 警備室でただひとり「無事」だったミティアは、周囲の状況を理解できなかった。
 どうやら、食事に睡眠薬を盛られたらしい。
 急にいなくなった子猫を探していて、夜食を食べ損ねたミティアだけが、警備部でただひとり起きていられた。
「料理に混ぜ物か……。身内を疑いたくはないが、今夜、メイドが少ないことを知っているのは……」
 念のため、廊下の置物に隠れながら屋敷内を警戒していた時だった。
 メイドを数名、引き連れたリリィが、屋敷の奥に向かっていく。
(何だ……?)
 異様な雰囲気を感じ、物陰に隠れながらついていくミティア。
 ――幼かった新人の頃、迷い込んだ地下室の入り口が、その目指す先にあった。
 何のためにかは解らない。が、いいことではないだろう。
(真珠は……晩餐会か。先に、ぼっちゃまを保護すべきか?)
 地下室の存在を知っている味方を脳内でリストアップしている間に、リリィ達は地下室に入っていく。
 と……
 不意に現れた子猫が、とことこと歩いて、地下室に入って行ってしまった。
「あ! ダメだ、待て!」
 思わず物陰から出たミティアは、子猫を追いかけて、地下室に飛び込む。
 それを待っていたかのように、ぱたん、と隠し扉は閉じた。




◆◇◆◇◆◇




 ――地下研究室。
 巨大な試験管や、メイドの石像が並ぶ中を、リリィ達は進んでいた。
「……広いですわね。それに、見たこともないマシンですわ」
 その中のひとつ、無数の試験管に繋がれた一際大きな機械に、リリィは目を留めた。

 ――『クローン培養装置』

「このマシン……。ずいぶん昔から、ここに置いてあるようですわね」
 埃のかぶり具合から推測して、リリィはつぶやく。
「本来の目的は、クローンではないのかも……」
「――正解です。おみごと」
 突然、背後から少女の声がした。
 同時に振り回された巨大な金槌が、飛びのいたリリィの代わりに護衛のメイドを叩きつける。
「きゃぶ!?」
 金槌と壁の間に挟まれたメイドは、ぺったんこに押し潰されてしまった。
 金槌が引かれると同時に、ひらひらと地面に舞い落ちる。
「きゃああああああ!」
「落ち着きなさい! 勝手に動いては、いい的……!」
「正解です。それも」
 逃げようとしたもうひとりのメイドもぺっちゃんこにされ、床に張り付いてしまった。
「くっ……!」
 リリィはじりじりと後ずさる。
 研究室の廊下に、身の丈5メートルはあろうかという機械の巨人が、金槌を手に立ちはだかっていた。
 そして、その向こうには、ラジコンのようなリモコンを手にした少女。
 メイド服の上から、白衣を羽織っていた。
「……メイド長。はじめまして。私は、ファム」
「リリィ・ソラツオーベルですわ。……このメイド、もとに戻せますの?」
「可能です。それは。けれど、教えません」
 にんまりとファムは意地悪く笑った。
「生きるんです。永遠に敷物として。ぞくぞくしません?」
「……あなたとは、いいお酒が飲めそうですわね。味方にできそうにないのが残念ですわ」
「そう思いません。私は。未成年ですし、何よりも」
 ぐぉっと巨大な金槌を振り上げるロボット。
「いい敷物になります。あなたは」
「まぁ怖い。あいにく、ペタンコになる気はありませんの」
 リリィはマシンの後ろに隠れて逃げ出した。
「無駄です。逃げても」
 ロボットは金槌を振り回し、邪魔者を粉砕しながら追いかけてくる。
 メイドの形の石像は、逃げることも避けることもできないまま、粉々に砕かれて床に散らばった。
「教えてあげます。せっかくですから。先ほどの培養装置は、旦那様が最初に設計させたもの」
「……っ」
「造られたものです。メイシア・ソラツオーベルの体を蝕む病魔を、悪い部位ごと取り換えるために」
 ガシャン、とメイド像の欠片を踏み潰して、ロボットがリリィに迫る。
「けれど。耐えられなかった。彼女の体は、手術に。だから方法を変えたのです」
「きゃあ!」
 物陰に吹き飛ばされたリリィが悲鳴を上げる。
 ニヤリ、とファムはほくそ笑んだ。
 ロボットに金槌を捨てさせ、リリィを握りしめさせる。
「イヤですの! 放して、放してー!」
 じたばたと暴れるリリィを見て、ほうっとため息をつくファム。
「……もったいないです。敷物なんて。箱になってください」
「えっ……」

 ぎゅむっ!!

 ロボットの両手が、おにぎりを作るようにリリィを包み込んだ。
 ぎゅっ、ぎゅっと握り潰された結果……
 ロボットの手から出てきたリリィは、一辺が20センチぐらいの、小さな立方体になっていた。
「あ……あぅぅ……動けません……の……」
 手足も爆乳もぴったり箱型に圧縮されてしまったリリィは、ころんと床に転がされる。
 それをひょいと拾い上げたファムは、満足げに全方位から彼女を観察していたが――はっと気が付いた。
「……どうしたんですか? メイド服は」
 箱になったリリィは、全裸だった。
 と――
 不意に、背後で気配がした。
 何人もの気配が、唐突に出現する。
「!?」
「……ですの……」
「ですの?」
「ですの……ここはどこですの……?」
 ぞろぞろと集まってくる「全裸のリリィ達」。
 寝ぼけているかのように焦点の定まらない眼は、まるでゾンビだった。
「メイド長、あなた! まさか!」
「……ふふ。この私が、自分よりも、倫理や道徳を重んじる人間に見えましたか?」
 物陰から飛び出したリリィが平手打ちを放ち、ファムの手からリモコンを叩き落とす。
「あなたに襲われた時に、髪を数本、クローン培養装置に入れましたわ」
 とん、と突き飛ばされたファムの小柄な体は、「リリィ達」の真ん中に投げ出された。
「えっ……ちょっ?」
「さぁ、あなた達。その子をコインにでもしてあげてくださいな」
「ですの?」
 ざわっと視線がファムに集まる。
 全裸の爆乳美女達は、ファムを胴上げのように持ち上げると、部屋の隅まで運んでいく。
「や、や、やめっ――」
 ぽいっ、と装置の入り口に放り込まれた。
 ガタガタガタと装置が揺れ動く。
 やがて、自動販売機のお釣りが出る穴みたいな部分から、チャリンと音がした。
「……た……助けて……」
「あら。普通にしゃべれますのね」
 直径2センチのコイン型になったファムをつまみ出したリリィは、ピンッと彼女を弾いた。
 くるくると回って手元に戻ってきたコインを、リリィは胸の谷間にしまう。
「さて、と……とっさに造ってしまったものの……」
 リリィが振り向くと、全裸の美女達はきょろきょろと辺りを見回していた。
 寝ぼけていた頭は次第に冴えてきたようだが、今度はくりくりと大きな瞳で周囲を観察している。
 まるで、生まれたての赤ん坊だ。
「ですの? わたくしは誰ですの?」
「ですの? ここはどこですの?」
「ですの? おなかがすきましたの!」
「あー、あー、聞いてくださいまし。私があなた達のオリジ……お姉さまですわ」
 ぱんぱんと手を叩くと、全裸の美女軍団は一斉にリリィを振り向いた。
「ですの? お姉さまですの?」
「はい。あなた達には、『シフォン』という名前をつけてあげましょう」
「ですの……?」
「ですの? シフォン、ですの……?」
 お互いに顔を見合わせ、頷きあう「シフォン」達。
「ですの! シフォンですの!」
 リリィはホッと胸をなでおろす。どうやら、与えた名前は気に入ってもらえたらしい。
「……あとは、奥に向かう扉のロックですわね」
 どうやらファムが手を打っていたようで、奥の扉は完全にロックされてしまっていた。
 胸の谷間からつまみ出したファム(コイン)を、じろりと睨む。
「ひっ!」
「パスワードを教えなさい。でないと、溶鉱炉に放り込みますわよ?」
「……む、無駄です。それは」
 ファムは一瞬、ふふんと勝ち誇ったように笑った。
「パスワードではありません。そこの扉は。自動生成される暗号を、120秒以内に解いて入力するんです」
「では、あなたが解いて、私が入力を……」
「入力できますか? 
120秒以内に、980ケタを。指が追い付きます?」
 ぴくっとリリィが眉根を寄せる。
 が。しかし。
 シフォンのひとりが、おずおずと手を挙げた。
「ですの……お姉さま、わたくしがやってみますの」
「え? あなたが?」
「ですの。わたくしがダメなら、他のわたくしが……」
「ああ、いえ……ものは試しですわ」
「ですの! がんばりますの!」
 コンピュータの前に陣取ったシフォンは――

 ピンポーン

 ――ものの92秒でロックを解除してしまった。
「ですのー! 開きましたの!」
「……しまった。残ってました、あの培養装置には。私のデータが……」
 ファムが苦々しげにつぶやく。
 どうやら、ファム自身がクローン培養装置を使っており、リリィの遺伝子と混ざって生まれたのがシフォン達らしい。
 リリィはお返しとばかりに勝ち誇った笑みを浮かべ、ファムを胸の谷間に戻した。
「……では、シフォン。あなた達は、残った石像メイドをもとに戻してくださいな」
 そこに、とことこと子猫が駆け寄ってきて、「にゃあん」と鳴いた。
「ああ、そうそう。もちろん、この子猫もですわ」
「ですの! やってみますの!」
 石像を抱えたシフォン達は、子猫を連れて、ぞろぞろと部屋の各地に置かれたマシンに向かう。
 リリィはきびすを返し、奥の部屋に向かった。

 ――『当主の寝室』

 そう書かれた部屋のドアを、開ける。




◆◇◆◇◆◇




「……いつか、訪れると思っていた。この日が」

 晩餐会の会場――。
 ひとのいなくなった劇場の控え室で、真珠は、当主の体に馬乗りになっていた。
 いや、正確には、ひとはいる。
 男は小さくされて真珠に捕まり、邪魔な女は、メイドも令嬢もまとめて石にされただけだ。
「……君の主……。メイシア・ソラツオーベルに出会ったのは、私が賭け事好きのクズだった頃だ」
「…………」
「ただでさえ金のない私が、とうとう裏手に引きずり込まれそうになった時だ。
 ひとりの少女が、金を立て替えるから見逃してやれと言ってきた。美しい女だった」
 当主は、昔を思い出すように目を閉じた。
 それを真珠は、黙って聞いている。
「私はそれから……何でもやった。だましも、殺しも、何でもだ。
 全て、あの日の少女にふさわしい権力者になるために。
 それまでの自分を殺し、それからの人生を、彼女と並ぶために費やした」
「……そうみたいですねえ」
「もっとも、やっと会いに行けた頃には、彼女には亡き夫との間に最愛の娘ができていたがね」
 ククッと自重ぎみに笑う当主に、真珠はかぶりを振った。
「……だからと言って、わたしはあなたを許せませんけどねえ」
「解っている。私は最低だ……」
 当主はため息をついた。
「私は、彼女を手に入れたかった。心も、体も、魂さえもだ」
 目を閉じた当主の頬を、悔恨の涙が伝った。
「……だから……彼女の申し出を聞いた時、私は喜びすらした。
 あの時、本気で治療法を探させれば、治せたかも知れないのに。――私は悪魔だよ、真珠君」
「わたしやお嬢様を取り立てたのは、メイシア様を自分の手から解放させるためだったとでもぉ?」
「どうだかな……だが、やましい気持ちはないよ」
 そこだけは自信を持って、当主は言い切った。
「私は、彼女を汚していない。いや、汚せなかった。あの瞳の持ち主を」
「まったく、いい年こいて童貞少年みたいな男ですぅ。亡くなった奥さんと、跡継ぎまで作ったくせにぃ」
「……そうだな。あいつには悪いことをしたよ」
「そう思ってるようには聞こえませんねえ」
 真珠は手にした注射器を、当主の首筋に突きつけた。
「……でも、メイシア様には、きっとあなたが必要ですから」
 ぷすり。
 突き立てた部分からスライムの一部が注入され、当主の体が硬くなっていく。
 ――文字どおり、石のように。
「……メイシア様は、あの日から……あなたのことを、ずっと気にかけていましたよ」
 真珠の言葉に、当主は頷く。

 そして、そのまま、動かなくなった。




◆◇◆◇◆◇




 ――『当主の寝室』。


 リリィが入った部屋には、一際、大きな培養カプセルがあった。
 いくつものパイプが繋がれ、入念に管理された装置の中心で、保存液に浮かぶひとりの少女。
 無理な科学技術のせいか、色素が抜け落ち、銀色となった髪。
 凹凸のない、幼い体。
 だが、リリィは直感的に認識していた。
「……お母様」
 リリィは装置のレバーを倒し、培養カプセルを解放する。
 大量の保存液が室内に流れ出す中、ふらっ、と倒れてくる少女。
 慌ててリリィが抱き留めた体は、あまりに軽く、弱々しい。

 ――しかし、ちゃんと熱があった。

「……ん……あれ? わたし、ここ……あれ……?」
 混乱した様子の少女は、辺りとリリィの顔を交互に見る。
 リリィは、ぎゅっと少女の体を抱きしめた。
 ――13年ぶりに――。
「……お母様。おはようございます」
 自分を抱きしめている女が、泣きながら肩を震わせていると気付いた少女は、はっと目を見開く。
 よく知っている幼い姿からは、だいぶ変わっているけれど――。
 ぽん、ぽん。
 メイシアは、彼女の背中を優しく叩いた。

「……おはよう、リリィ。まったく、あなたは泣き虫ね」







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