「小悪魔なんてガラじゃない」

( 4 )





 ……ひとの死は、突然に訪れるものです。
 枯れ葉の散る季節でも、虫の死に絶える季節でもなく。
 わたしの主の病状が悪化したのは、命の芽吹く季節でした。

「……リリィをお願いね、真珠」

 仰向けでいると、胸が重そうですが、今の病状では横に向けることもできません。
 彼女は枕もとのわたしに言いました。

「わたしには……経営の才能なんてございません。リリィお嬢さまは、まだあまりに幼く……」
「……あのひとを……頼るしかないかしら」

 彼女は天井を見上げて、ささやきます。

「悪魔みたいな男だけど……ね」
「でも、対価は? 彼も富豪です、大金を積んだ程度で言いなりにできる相手では……」
「かわいい娘と、あなた達のためよ。魂だって売ってあげるわ」

 にっこり、彼女は笑いました。
 脂汗が浮かび、頬をこぼれます。無理をしているのが、明らかでした。

「安心して……。あのひと、私にホレてるもの。女って怖いわね、ふふ」
「…………」

 わたしには、どうすることもできませんでした。
 それから、屋敷を訪れた伊月家の当主と、ふたりきりの対談を終えて……1ヶ月後。

 私の敬愛するメイシア・ソラツオーベル様は……。




「……ご安心ください」
 すやすやと寝息を立てる、リリィお嬢さまの髪……
 母親譲りの綺麗な金髪を、私は優しくなでてさしあげます。
「わたしの全ては、常に、お嬢さまのために」


「わたしの、たったひとりのお嬢さまのために……」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――4年前――


 ――リリィが、18歳の時。


「あぁ、リリィお嬢さま。なんとご立派に成長なされて……」
「……その言葉、ここ4年で聞き飽きましたわ。真珠」
 少しキツい下着を無理に装着したリリィは、メイド服に袖を通した。
 真珠は人差し指をくわえてしょんぼりする。
「最近、お嬢さまのからかい甲斐がなくなって寂しいですぅ」
「あなたの中では、いつまで子供なのですか、私は。まったく……」
 真珠の手を借りずにメイド服の着付けを終えたリリィは、足早に部屋のドアに向かった。
 現在時刻は朝の4時。
 メイドの仕事は朝早く、夜遅い。ほぼ純粋な体力勝負である。
「それから、真珠。私は今日、当主様から話があるそうですから、勝手に迎えに来たり、騒いで探し回らないこと。命令ですわ」
 ぱたんとドアが閉められる。
 部屋に取り残された真珠はしばし立ち尽くしていたが、やがて、くすりと不敵な笑みを浮かべた。
「……それでいいんですぅ、お嬢さま。あなたは人の下に立つ器ではありません」
 洗濯カゴに入れられた、使い込まれたタオルやハンカチ――全てメイドが『プリント』されたもの――を、真珠は見下ろす。
「半分ぐらい、あなた達のおかげかも、ですねぇ。さてと……」
 棚から洗剤を手に取った。
「今日はお祝いですぅ。私が自分の手で洗ってあげましょう」
 洗剤を泡立てた両手で、真珠はハンカチをゴシゴシと洗い始めた。




◆◇◆◇◆◇




 ルームメイク専門のメイド達は、朝に集合した後、それぞれの担当区画に散らばる。
 リリィとミナ、それにミナの取り巻きのうち4名は、客室を担当していた。
 屋敷に来てからの4年間で、若年層メイドのほとんどがミナの取り巻きと化している。
「ミナさん!」
「ミナおねえさま!」
「ミナお嬢さま素敵!」
「……ずいぶんと人気者ですこと。現役令嬢のカリスマは違いますわね」
「い、いやぁ……あはははは」
 全てを見透かしたような(文字どおり)表情のリリィに、ミナは引きつった笑いで返すしかない。
 取り巻きのひとりがニヤニヤと嫌らしく笑う。
「ひがみは見苦しいわよー、没落貴族」
「…………」
 じろり、とリリィの目がミナに向いた。黙らせろ、と言いたいらしい。
(なんで私が……)
 少しばかり反抗的な視線をぶつけてみたところ――
 リリィはさりげないように装って、大きな声を出した。
「ところで、ミナさん? もうお勤め4年になりますが、ご家業の方はあなたがいなくても――」
「さ、さぁ、みんな! さっさと終わらせちゃおう!」
「「「「は~い!」」」」
 ミナのひとことで、4人は仕事を始める。
 シーツの取替え、窓掃除、花瓶の手入れ。ハタキでホコリを落とす際、高いところから順にやるのは掃除の基本だ。
 マットレスをひっくり返し、雑巾で床を掃除していたリリィは、ふと、ベッドの下の白い毛玉に気づいた。
 白い、というか、銀色のようにツヤがある毛玉は、じっとリリィを見つめている。
「……ネコですわ」
「ちょっと、なにサボって……ん?」
「うわ、ネコだ。どこから入ったのかしら」
「この子、以前も屋敷の中で見たことあったような」
「ミナさん、どうします?」
「え? 私?」
 全員の期待の眼差し(リリィだけ「おまえがやれ」的な視線)を浴び、ミナは一瞬の葛藤の後、薄い胸を張った。
「ま、任せなさい!!」
「すてき!」
「さすがミナおねえさま!」
「ミナお嬢さま最高!」
「お優しいミナ様!」
「まぁー、すてきですわー、ミナさまー(棒読み)」
(……リリィちゃん、完全に私のことナメてるよね)
 腐っても商家令嬢(末娘)のプライドが刺激され、キッとリリィを睨む。
 臆しはせずとも少し驚いた様子のリリィを押しのけて、ミナはベッドの下に手を突っ込んだ。
(私だって、やればできるってとこ見せれば、リリィちゃんだって……!)
「ふにゃー!」
「ぎゃああああああ――!」
 大方の予想どおりにツメを立てられ、ミナは悶絶した。
 取り巻き4人がパニックに陥るのを横目に、ベッドの下から飛び出してきた子ネコは、ドアに向かって走る。
 ドアの前には、ミナと取り巻き連中を遠目に傍観していたリリィが立っていた。
「ふしゅーっ!」
 邪魔だ、と言わんばかりに威嚇する子ネコ。
「…………」
 リリィは目を細めて、足元の子ネコを見下ろした。
 ぎらり。
 サファイアのような碧眼が、暗い夜の海のような闇を宿す。
「にゃ……」
 ほんの一瞬、びくっと体を縮こまらせた子ネコの隙を突いて、リリィは両手ですくいあげた。
 豊かに発育した胸で、赤ん坊のように抱きとめる。最初は抵抗していた子ネコも、次第におとなしくなった。
 くすっ、とリリィは微笑む。
「かわいいものですわ。メイドとしては、ツメは削っておきたいところですが」
 リリィの胸に頭をこすりつけて、ごろごろ、のどを鳴らす子ネコ。
 じゃらすように指先で子ネコの体をいじっていたリリィだったが、不意に開いたドアに視線を向けた。
 バタバタと、少し年上らしい警備服の少女が飛び込んでくる。
「ここにいたのか、貴様!」
「はい?」
「あ、いや、すまない。そのネコのことだ。
なんでこの部屋によく忍び込むんだか……
 少女はリリィの腕の中にいるネコに手を伸ばすが、子ネコは「にゃっ」と鳴いて彼女の手を払った。
「……どうやら、気に入ったようだな。抱かれ心地がいいのか」
「うんうん、貧乏令嬢、おっぱいだけは豊かだからね。ミナさん」
「そうそう、きっと財力とおっぱいは反比例するんだね。ミナさん」
「あの……それはどういう意味かな?」
 引っ掻き傷のある手で、薄い胸を隠すミナ。
 リリィは子ネコのあごをぐりぐりとなでると、抱き上げて警備服の少女に渡した。
「残念ですが、私は当主様に呼ばれているので、お暇しなければいけません。いい子になさいね」
「にゃーん」
「すまない、面倒をかけた」
 リリィに続いて、子ネコとともに部屋を出て行く少女。
 ミナと取り巻きは、ぽかんと立ち尽くしていた。
「当主様に呼ばれた? って……なんで?」
「ああ、貧乏令嬢、おっぱいだけは豊かだからね」
「うん、抱き心地はどうなんだろうね」
「だだだだだ抱き心地!?」
 取り巻きの言葉を聞いて、ミナの顔は真っ赤になって煙を噴いた。
 女学館で、風のウワサ程度に聞いたことのある話――。

『ミナ……タイが曲がってましてよ』

『り、リリィおねえさま……』

『ミナったら、ウブな子……私が可愛がってあげますわ』

『あっ、そ、そんな……心の準備が……!』

 ――百合の花を背景に展開される妄想劇場。
「……って、どうして私が妹側なの!? 私はそんな願望ない! ないもん! たぶん!」
「ミナおねえさま、どうしたんですかー?」
 シーツを替えたばかりのベッドにひっくり返って悶絶しているミナを、取り巻きは不思議そうに眺めていた。




◆◇◆◇◆◇




 コン、コン、とドアをノックする音が響く。
「……誰だ」
「リリィ・ソラツオーベルでございます」
「入りたまえ」
 当主執務室から聞こえた当主の声に、リリィはドアを開けて中に入った。
 分厚い真紅のカーテンを閉め切られた執務室の中心に、伊月家の当主が立っていた。
 ぱたんと後ろ手に扉が閉まると、勝手にカギの掛かる音がした。
 リリィは嘆息交じりに、当主から視線をそらす。
「……お部屋のお掃除であれば、承りますが」
「掃除か……。君に水仕事をさせるのは心苦しいな、リリィ君」
 歩み寄ってきた当主は、リリィのあごに触れた。くいっと上を向かせる。
「……っ」
「美しい……。その髪、その瞳……彼女そのものだ」
「……その手をお放しください、当主様」
 キッ、と当主を見上げて睨むリリィの視線を、当主は正面から受け止めた。
「その眼差しも、君の母君に瓜ふたつだな」
「当然です。母娘なのですから」
 リリィは自分のあごに触れている当主の腕を、ぎゅっと握った。
 腕力としてはしょせん女の細腕だが、これ以上はさせないという警告として。
 当主はおとなしく手を引いた。
「……諦めてくださいましたか」
「さて、な。気丈な女性は私の好みだ」
 執務机の前に座った当主は、机の上に置かれたマッチ箱を、トントンと指で叩いた。
「?」
「開けてみたまえ。おかしな薬ではないよ」
 リリィは机の前に行き、マッチ箱を開けた。
 中に入れられていたのは、緩衝材の代わりの綿と――
 ――身長2センチほどの人間がふたり、だった。
 人形というにはリアルで、それも動いている。男がひとり、女がひとり。
 マッチ箱の中から、リリィに何かを叫んでいた。
 ……命乞いだろうか。
 ぞくりとリリィの背筋が震えた。――2重の意味で。
「……これは脅しですか。当主様」
「ほう。夢やロボットを疑わないとは、さすがの包容力だ」
「……っ。答えになっておりません」
 当主の視線が胸元に向いたのに気づいて、リリィの頬が微かに赤らむ。
「脅しではない。ただ、気になったのだよ。面白い玩具を与えたら、君はどうするか、とね」
「玩具?」
「それは、秘密裏に開発させた新薬のモニターでね。1ヶ月前に前払いした大金の代わりに、今はどうなっても構わない契約だ」
 当主はいかにも楽しそうに、リリィを見た。
「君の自由にしてくれて構わんよ。飼育するかね? それとも……」
「…………」
 リリィは黙ってマッチ箱を見つめると……やがて、くすっと微笑んだ。
 ふたりのこびとは、一瞬、はっと明るい表情になる。
 だが次の瞬間、マッチ箱は逆さまにされ、ふたりは遥か下方の床に落下していった。
 毛足の長い絨毯のおかげで即死は免れたが、体を強く打って動けない。
 まだ意識のある男が見上げると、巨大なメイドのスカートが頭上を覆い尽くし、しなやかだが巨大な2本の脚が、柱のようにそびえ立っていた。
 持ち主の顔は、スカートに遮られて見られない。
 ガーターベルトをつけた脚が片方、宙に浮く。黒い靴が、ふたりの頭上を天井のように覆った。
「ふふ……」
 メイドの笑い声が聞こえてくる。
 同時に、靴の裏は絨毯の毛をなぎ倒しながら迫ってくる。男は両手で押し返そうとしたが、何の意味もなかった。
 巨大な靴の下で、ぺしゃんこに押し潰され、圧縮されていく……。

 ――ぷちり。

 リリィの靴の下で、何かが潰れる音がした。
「……確かに、いい玩具ですわ。アリなんかより、ずっといい」
「ほう、それはよかった。気に入ったかね」
「当主様も小さくなられたら、遊んでさしあげてもよろしいのですが?」
 興奮し、頬を紅潮させたリリィが挑発的に微笑んだ。当主はカラカラと笑う。
「今は遠慮しておこう。これからは君に、メイド長の職務を任せたい」
 当主は机の引き出しから、メイド長専用のバッジを取り出した。
 リリィの顔に、ほんの少しためらいが浮かぶ。
「それはもったいないお申し出ですが……前任のメイド長様は、どちらに?」
「心配ない。彼女はなかなかの『美人』だからな」
 当主は薄く、ほくそ笑んだ。
「彼女なら、ファムも気に入るだろう」




◆◇◆◇◆◇




「お、お願いです……。私、何も……していません」
 強化ガラスで囲まれた、巨大な水槽。
 その中で、おとなしそうな亜麻色の髪のメイドが、必死に無実を訴えていた。
「真珠さん、わかってください! 私、あなたにも……リリィちゃんにも、精いっぱいのことを……!」
「……知ってますぅ。ここ数年、それなりに便宜を図ってくれてましたっけ。いい人でしたよねぇ」
 真珠は笑顔のまま、頷いた。
「余すところなく、大切に調理してあげますねぇ」
「そんなっ……!」
「……もうない? 言い残すことは」
 メイド服の上に白衣をまとった少女、ファムが、じっとメイド長を見つめる。
 彼女が操作しているパネルの上には、録音用のカセットテープが乗っていた。
「うぅ……それは、私の遺言状ということですか?」
「……当たり。半分は」
 ファムは機材のスイッチを入れて、再び録音を始めた。
 ほぅっ、と幸せそうにため息をつく。
「……聞かせてください。悲鳴を」
「ひっ……!」
 メイド長が息を呑むのと同時に、ファムはパネルを操作した。
 水槽に繋がれたパイプからは、スライムが。
 水槽の真上からは、巨大な鉄の柱が、ゆっくりと降りてきていた。
「イヤ……イヤ、イヤぁっ! 私、何にも悪いことしてないんですよっ!?」
「……素敵。いい声」
「あ、あなたは……悪魔です……っ!」
 首から下をスライムに取り込まれたメイド長は、頭上から少しずつ降りてくる鉄の柱によって、四つんばいにならざるをえなくなる。
 それでも、鉄の柱が止まることはない。
 天井と床の隙間は、じわじわと狭くなっていく。
 同時に、スライムを通じて搾り出された『何か』が、水槽の底からにじみ出して瓶の中に溜まっていく。
「……あ……ぅ……ッ」
 もう、カラダ分の厚みしかない空間に、メイド長は這いつくばる。
 背中側からのしかかる重みは、彼女自身の体を押し潰し始めていた。
「ひ……と、で…なし……」
「……最高です。いい顔」
 ぶざまに潰れかけたメイド長の姿に、ファムはゾクゾクと体を震わせる。
 もう完全に希望を失ったメイド長の瞳から、光が消えて――鉄の柱は、水槽の床と密着した。
 水槽の下の瓶を、真珠は手に取った。
 甘い香りのする液体。血でも体液でもスライムでもない何か。
 真珠がファムを振り返ると、彼女は録音したテープを再生し、耳に押し当てていた。
『――あ、あなたは……悪魔です……っ!』
「……とてもいいです。綺麗で。素敵な叫び声」
「あっちの本体はどうするんですかぁ?」
「……どうぞ。カーペットにでも」
「さすがに遠慮しますぅ」
 持ち上がっていく鉄柱の底にペタンと貼り付いて動かない、ぺらぺらのメイド長から、真珠は目をそらした。
「わたしはキッチンに戻って、このジュースでカクテルを作りますねぇ」
「……いりません。私の分は。まだ12ですから」
「じゃあ、あなたの分はオレンジ割りにしますぅ」
 瓶を小脇に抱えて、地下室を後にする真珠。ファムは録音を聞くのに夢中だ。
 地上に向かう廊下の途中、1ヵ所だけ、特に厳重に閉じられた鉄の扉がある。

 ――『当主の寝室』。

 真珠は一瞬、立ち止まりそうになった足を、無理に動かしてその場を立ち去った。
 まだ早い、と心の中でつぶやいて。






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