「小悪魔なんてガラじゃない」

( 2 )


「リリィ、こっちにいらっしゃい」

 さんさんと差す日差しの中、花畑の真ん中で、おかあさまは笑いました。
 メイドのみんなが手入れしてくれた、屋敷の中庭には、たくさんの花が咲いています。
 呼ばれた私は、観察していたアリの巣をその場に残して、おかあさまに駆け寄りました。

「なんですか、おかあさま」
「うふふ。これ、作ってみたのよ」

 お花を繋げて作った輪っかを、おかあさまは私の頭に載せてくれました。

「おはなのかんむり!」
「まぁ、よく似合うわ。お嬢さまからお姫さまね、リリィ」

 はしゃいだ私は、おかあさまのおひざに勢いよく座りました。
 ふかふかのおっぱいが、枕になって、とても気持ちいいのです。
 おかあさまは、優しく、私の頭をなでてくれました。

「ねえ、リリィ?」
「はい、おかあさま」
「いい子でいてくれなくてもいいの。ただ、まっすぐな子でいてね」

 にっこり笑うおかあさまの言う意味が、私には解りません。
 それでも、おかあさまは言い続けます。

 毎晩。
 いつも、同じ言葉を。




「――お嬢さま、おはようございますぅ。いい夢は見れましたかぁ?」
「…………」

 あの頃と変わらない真珠の声で、私は目覚めるのです。
 あの頃よりも幾分か固くて冷たい、ベッドの上で。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 ――12年前――


 ――リリィが、10歳の頃。


 リリィと真珠が伊月家に来て、もうすぐ一年が経とうとしていた、そんな頃。
 伊月家の中庭で、丈斗とリリィは一緒にいた。
 正確には、丈斗が彼女を探していて、中庭で見つけたところだった。
「…………」
 しゃがみ込んで、じっと地面を見つめるリリィと、それを眺める丈斗。
 そのまま5分ぐらいが過ぎて、丈斗はおそるおそる聞いた。
「あの……何してるの?」
「…………ん」
 リリィは地面を指差した。
 丈斗が覗き込むと、リリィの指先のすぐ下を、ちいさなアリが歩き回っている。
「アリの観察?」
「…………」
 リリィは何も応じない。
 その代わり――

 ピン、とアリを指先で弾き飛ばした。

「……ふふっ」
 ゴミのように吹っ飛んでいくアリと、無邪気に微笑みをこぼすリリィ。
 初めて見る笑顔だった。
 かぁっと丈斗の顔が赤くなる。
「えっと、リリィはさ……アリが好きなの?」
「うん、好き。ちいさいから」
 珍しく、はっきりと答えた。同時に、今度はプチリと指先でアリを押し潰す。
 くすくす、と声を立てずに笑うリリィ。

 ――あんなに楽しそうに笑ってもらえるなら、僕がアリになってもいいな。

 丈斗は思わず、そんなことを考えてしまう。
 見とれてしまいそうになって、はっと我に返った。
「あ、あのさ、リリィ」
「?」
「た、た……誕生日は、いつ?」
 ぼんやりと顔を上げたリリィは、彼の意図が解らないといった様子でしばらく沈黙した後、ぼそっと言った。

「……8月10日」

 3日前だった。

 丈斗の緊張が解けると同時に虚脱感が生まれ、気まずい沈黙(丈斗のみ)が発生する。
「そ、そうなんだ……ごめん」
「……?」
 リリィはしばらく小首を傾げていたが、やがて足元のアリに視線を戻した。
 今度は踏み潰すことにしたようだ。
 彼女用に特注で用意されたメイドの靴が、暗雲のようにアリの頭上を覆い、のしかかっていく。
 年端もいかない少女の脚で踏まれたアリは、ひとたまりもなく、ぺちゃんこになってしまった。
「ふふっ」
 楽しくて仕方ない、と言いたげに微笑むリリィ。
 その時、彼女の金色の髪に、何かが触れた。細いものが、髪の間に差し込まれる。
「?」
「……ごめん、こんなのしかない」
 丈斗は申し訳なさげに言う。
 リリィが差し込まれたものに手を触れると、そこには一輪の薔薇が差してあった。
 どうやら、花壇から摘んで、持って来たらしい。
 リリィは少し――不満げにした。
「……トゲ、痛い」
「あっ! ご、ごめん!」
「……でも、嬉しい」
 頬をほんのり紅く染めたリリィは、さっきまでとは少し違う、恥じらうような微笑を浮かべた。
 ドキリと丈斗の胸が高鳴る。
「……たからものにする」
 それだけ言うと、リリィは屋敷に向かって駆けていってしまった。関心のなくなったアリ達を、巣の入り口ごと踏み潰して。
「り、リリィ……」

「ぼっちゃま、やりますねぇ、なかなか」

 取り残された丈斗の背後に、いつの間にか真珠が立っていた。
「い、いつから!?」
「もちろん『真珠、あそこにアリさんがいる』の辺りからですぅ」
「僕が来る前からじゃないか!」
「いやぁ、ずーっと横にいたんですけどねぇ。お嬢さましか眼中にないんですかぁ?」
 さりげなく毒を吐いた真珠は、にっこりと満面の笑みを浮かべて――ずずい、と丈斗に顔を寄せた。
「……泣かせたら、ぼてくりこかすからな……ですぅ」
「ぼてっ……!?」
「ただじゃおかねえぞって意味ですぅ。さ、お茶のご用意をいたしますよぉ」
 笑顔を崩さずに言い放った真珠は――リリィの踏んだアリ達を、今度こそ完全に踏み潰しつつ――屋敷に向かった。
 それを見送る丈斗は、呆然と立ち尽くしながら考える。
 先ほどのあれは、警告なのだろうか。
「…………ま、負けるもんか」
 丈斗はリリィの笑顔を思い出して、気を取り直した。
 彼の幼い脳にすり込まれたのは、ちっぽけなアリを蹂躙しながら微笑む姿だったが。




◆◇◆◇◆◇




 伊月家のセキュリティは、昼夜、万全を期している。
 赤外線センサーや監視カメラの他、100名以上の警備員が雇われていた。
 当然、夜勤の者は、昼に寝るしかないわけで。
「すー……すー……」
 伊月家に配属されて、1年とちょっとが経過した少女、ミティアはベッドで寝息を立てていた。
「すー……すー……」
 心安らかに安眠していた、その時。
 突然、顔の真上に毛玉の王様みたいなものが降ってきた。
「ふにゃーん!」
「す…――ぶふっ!? な、なんだ!?」
 暴れる毛玉をつかんで顔から引き剥がす。
 よく見ると、それは黒っぽい毛並みの子ネコだった。
「ね、ネコ? どこから……」
 部屋を見回したミティアは、ふと顔を上げる。頭上の換気ダクトが開いているのに気づいた。
「……おまえが開けたのか? 器用なネコだな」
「ふにゃーっ!」
「まぁいい。換気ダクトの中に戻すわけにもいかないからな、屋敷の外まで連れて行ってやる」
 子ネコの首根っこを捕まえたまま、ミティアは部屋を後にした。
「にゃん、にゃ、にゃーっ!」
「こ、こら! 暴れるんじゃない!」
 じたばたと暴れる子ネコを両手で抱きかかえようと苦戦していた時である。
 廊下の向こうから、音も気配もなく、小柄な人影が現れた。
「……それは暴れますよ。当然」
「なんだと?」
 振り向いたミティアは、思わず目を見開いた。
 メイド服の上から、白衣を羽織っている小柄な少女。
 あれから何度か行こうとしても行けなかったので、忘れるつもりだったのだが――1年前、あの地下室で見た記憶が鮮明に思い出される。
「お、おまえ……!」
「? ……わたしの顔に、ついてますか。何か」
 不思議そうに目を細める少女に、ミティアはかぶりを振って、気を取り直す。
「見慣れない顔だったから、驚いただけだ」
「……そうですね。私も」
 じっ、と少女はミティアを見つめる。
 あの時、閉じ込めた料理長を見ていた時よりも、真剣な目で。
「……私も、驚きました。とても」
「な、何をだ?」
「……綺麗です。あの方が連れてきた、どのメイドよりも」
 薄く、少女は微笑を浮かべた。
 にっこりではない。
 ――「ニタリ」という表現がぴったりの笑みだった。
「……そそります。すごく。あなたとお茶がしたいです」
 ミティアの背筋に、寒いものが走った。
「わ……私は夜勤なのでな。遠慮させてもらおう」
「…………そうですか。残念」
 あまり残念そうには聞こえなかったが、無表情に戻ったところを見ると、やはり残念だったらしい。
「……では、返してください。そのネコだけでも」
「ネコ? おまえ、まさか――」
 実験材料にする気か? ――と言いかけて、とっさに口をつぐむ。
 その発言は、地下室でおまえのしていることを見た、と自白するのにも等しい。
「――まさか……おまえの飼いネコか?」
「……ちがいます。ちっとも」
 少女は目を細めて、フーッ、フーッと威嚇してくる子ネコを見た。
「……それはネコではなく、わたしの地下室に侵入した――」

「――ファム、ここにいたのか!」

 突然、男性の大声が響いて、少女は口をつぐむ。
 ミティアが声の主を振り向くと、伊月家の当主が慌てた様子で駆けてくるのが見えた。
「と、当主殿!?」
「……上がっていますよ。息が」
「ファム、勝手にうろつくなと言っているだろう? さぁ、部屋に戻るのだ」
「…………かしこまりました。はい」
 一瞬、ミティアの抱いているネコに視線を向けたものの、少女はきびすを返して去っていった。
 ほっとしたのも束の間――当主の視線は、ミティアに向く。
「ところで、何を話していたんだね?」
「!」
 ミティアの心臓が大きく上下した。
 へたを打てば、間違いなく消される、そう感じた。
 何を話したかなど、あとで少女に聞けばすぐにバレる。それだけは避けなければならない。
 ミティアは数瞬、思考を巡らせた。
「……と、当主殿には言えないことです」
「ほう、つまり何だね?」
「彼女に聞けば、おわかりになるとは思いますが……」
 ミティアは震えそうになる足を必死に抑えて、当主を見上げる。
「け……軽蔑されますよ。少なくとも、私の口からは言えません」
「ふむ……?」
 当主は(緊張と興奮で)顔が赤いミティアと、廊下の向こうにいる少女の後ろ姿を見比べた後、あごひげをなでた。
「……女にしか解らない話か……」
「さ、さぁ。私の口からは言えません」
「そういうことなら仕方があるまい。ご苦労だったな」
「は、はいっ!」
 その場に直立不動になるミティアを残し、当主は少女を追いかけていった。
 少女と当主の姿が廊下を曲がるのを確認した途端、緊張が解けた彼女は、へなへなと座り込んでしまった。
 抱っこされた子ネコは、おとなしくなっている。
「……今のは私の人生で、一番、頭を使った瞬間かも知れん……」
「にゃーん」
「ところでおまえ、あの地下室に入ったのか?  命知らずなネコだな」
 ごろごろ、のどを鳴らしている子ネコに尋ねても、答えは返ってこない。
 ただ、ふたつだけ解ったことがある。

 白衣の少女は、『ファム』という名前だということ。

 そして、彼女はあの夜のような行為を、楽しんでいるということだ。




◆◇◆◇◆◇




 夜――。


 真珠に髪をすいてもらったリリィは、丈斗にもらった薔薇の花を、花瓶に挿した。
 ほんのり頬を紅く染める『お嬢さま』。
 その後ろ姿を見守る真珠は、表情そのものは相変わらず笑顔だが、内心は穏やかでない。
「ああっと! お嬢さま、大変ですぅ! ドライヤーが熱暴走ですぅ!」
 「…………」
「おおっと! お嬢さま、これは! 珍しいムカデですぅ!」
 「…………」
「ええっと? お嬢さま、どうしましょう! 真珠は大変ですぅ!」
 「…………」
 なんとか気を引こうとする真珠を完全にスルーしているリリィ。
 笑顔のまま考え込んだ真珠は、工具箱をひっくり返し、震える手でトンカチを握った。
「い、いっそ、あの薔薇を壊してしまえば……!」
「……真珠」
 不意に、リリィが振り返った。
 嫌そうな顔で。
「……うるさいわ」
 ぽつりと、しかしバッサリ斬られる。
 真珠は笑顔のまま、部屋の隅でひざを抱えることになった。
 小さくため息をついて、丈斗にもらった薔薇を見つめる作業に戻ろうとしたリリィだったが――
 ふと、部屋の片隅に置かれた箱に気がついた。
 昨日まではなかった箱が、ひざを抱えた真珠とは反対側の部屋の隅に置かれている。
「……真珠、これは何?」
「え? ……あぁ、それはあまり面白いものではないですぅ」
 自分でとことこと箱に近寄って、封を開けるリリィ。
 中には、細長い布や、巻物などが詰め込まれていた。
 その全てに、『泣いているメイドの姿』が、ほぼ等身大で描き込まれている。
「…………?」
「……警告なんですかねぇ。まぁ、ただの悪趣味かもですけど」
 きょとんとするリリィと対照的に、眉根を寄せる真珠。
 ――箱に詰められた布は、全て『生きたメイド達を封じ込めたもの』なのだろうか。
 丈斗やミティアが地下室で見たものと同じ光景が、真珠の頭にもフラッシュバックする。
 しかし、彼女は――
「……そうですぅ、お嬢さま。このタオルで、お背中をお流ししますぅ」
 ショックを受けるどころか、箱の中のタオルをわしづかみにして持ち上げた。
 リリィは直感的に、ぶるりと身震いする。
「い……いやよ。そのタオル、なんだか怖い」
「そうですねぇ。もしかしたら、意識があるかもです。……けどぉ」
 真珠は、自分より『背の高い』細長いタオルをくるくるとコンパクトに丸めると、リリィの手に渡した。
「……使ってあげれば、喜ぶかもですよぉ」
「そ、そうなの?」
「もちろんですぅ。真珠はいつも、お嬢さまのために行動してるんですぅ」
 もみじのような手に乗せられたタオルを、見つめるリリィ。
 生きている、物体――。
 くすり、とリリィは微笑みを浮かべた。
 天使とも、小悪魔ともつかない微笑を。
「……それじゃあ、使ってあげますね……私が」
「まぁ、素敵。おぱんつまで入ってますよぉ、お嬢さま」
 真珠が箱から次々と取り出すものを、リリィはひとつひとつ品定めしていく。
 その途中、リリィは自分が、ハンカチを踏みつけていることに気づいた。
 長い髪で胸の大きいメイドが、泣き顔で助けを求める姿がプリントされている。
 幼いリリィに踏みつけられても、ハンカチはピクリとも動かなかった。いや、動けなかった。
「……ごめんなさい、おねえさん……ふふふ」
 なぜか笑みがあふれてくるのを堪えられず、リリィは軽くハンカチを踏みにじった後、洗濯カゴに放り込む。

 その姿を、真珠は満足げに見つめていた。







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