「小悪魔なんてガラじゃない」

( 1 )






 ――僕が彼女と初めて会った時、彼女はいかにも幼気(いたいけ)な女の子だった。
 よく言えば、優しそうな。
 悪く言えば、気弱そうな。
 金髪、碧眼というステータスは、彼女に『着せられた』メイド服によく合った。
 僕を見ると、後ろをとことこ付いてきていた女の子。

 それがどうして、こんなことになってしまったのか。

「……お加減はいかがですか、おぼっちゃま」

 十字架にハリツケられた僕を見下ろして、彼女の青い瞳が優しく微笑む。
 この十字架は、ペーパーウェイト。
 ここは、彼女の机の上。
 僕は小さくなって――比喩ではなく――彼女の指先より小さくなって、捕らわれていた。

「リリィ……」

 僕が彼女の名前を呼ぶと、彼女は――リリィは、くすっと微笑んだ。
 ほんの一瞬、幼い頃の笑顔が過ぎる。
 豊かに膨らんだ胸は、確かにあの頃の彼女とは違う。それどころか、こんな大それたことをするなんて。

 ――メイドが主人に逆らうなんて、聞いたことがない。
 ましてや、この屋敷――『伊月家』でだなんて。
 僕が思考を巡らせようとした次の瞬間、僕の視界は真っ赤なルージュを塗られた唇でいっぱいになった。

「んむっ……くちゅ……」

 柔らかく、弾力のある唇が、僕の顔全体を包み込むように押し付けられる。
 甘い吐息の香りがした。
 二、三度、唇の端で僕の顔を揉むように味わった後、リリィは離れた。
 肩から上に唾液がついてしまったが、ハリツケ状態の僕にはどうしようもない。

「続きは、全て終わってから。
 おぼっちゃま――いいえ。私の、伊月丈斗(いづき・たけと)様」

 私の、のところを強調しながら片目をつむって見せたリリィは、くるりときびすを返して部屋を出て行った。
 ずっと机の脇に立っていたもうひとりのメイドは、引きつった笑顔でリリィを見送った後、じろりと僕をにらむ。

「お熱いねぇ……た・け・と・さ・ま?」
「からかわないでくれ、ヒナ」
「ミナだよ、ぼっちゃん! 間違えるような難しい名前じゃないよね!?」

 ずずいっと僕に顔を寄せて、まくしたてるヒナ……もとい、ミナ。
 リリィと比べればプレッシャーはないが、それでも今の僕にとっては巨人だ。
 飛んでくる唾から顔を背けながら、僕は思い出していた。

 リリィが、この屋敷に現れてからのことを。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 ――13年前――


 ――リリィが、9歳の頃。


「とってもよくお似合いですぅ。お嬢さま」
 長い金髪をツインテールに束ねたメイドが、穏やかに微笑みながら言った。
 年端もいかない少女は、初めて着るメイド服に身を包み、じっと立ち尽くしている。
 その瞳は、暗い。
 生気の薄れた金髪碧眼の少女は、ビスクドールのようにうつむいていた。
 その傍らの、ツインテールのメイドは対照的に、笑みを絶やさず、少女の身づくろいに執心している。
「今日から新しいお部屋ですよぉ」
 「…………」
「今夜のお夕飯は何に致しますかぁ」
 「…………」
「お友達ができるといいですねぇ」
 「…………」
 メイドが一方的に話しかけ、少女は何も応じない。
 その様子を、開けっ放しのドアの隙間から、まだ少年だった丈斗は覗いていた。
 たまたま通りかかったところ、初めて見る2人だったからだ。
「……あの子」
「ほう、気に入ったかね。丈斗」
 ――突然、彼の背後から老人が……いや、老いて見える彼の父が顔を突き出した。
 頭のすっかり白くなった伊月家の当主は、驚く丈斗を無視して、部屋のメイド達に目を向ける。
 あごをさすりながら、品定めするかのように2人を眺める。
「年頃の方は、そそる胸と尻をしておるが……小さい方も、あれはあれでよさそうだ」
「父さん? なんのこと?」
「ん? まだ知らなくてもよいが……おい、真珠君」
 当主が声をかけると、ツインテールのメイドが2人を振り向いた。
 覗き見がバレてしまった気まずさで動揺する丈斗だが、メイドは最初から気づいていたらしい。
「何ですかぁ、旦那さま」と間延びした口調で答える。おそらく彼女が『真珠』だろう。
 当主は気後れした様子もなく、丈斗を指差した。
「その娘、世継ぎの相手にはどうかな?」
「相手?」
 丈斗は思わず、少女を見た。
 鏡の前で、ぼんやりと立ち尽くしていた少女は、ふわり、とメイド服を揺らして――振り返った。
 生気のない瞳だったが、目が合ったのは解った。
 丈斗の顔が赤くなる。
「……お相手ですかぁ」
 一方、真珠は満面の笑顔を、当主に向けた。
 同時に、すっと立ち上がって少女の前に移動し、彼女を隠してしまう。
「わたしでよければ、いくらでも」
 まるで、ケダモノからかばうように。
「……ふ……」
 当主は、一瞬の間を置いて――

「やはり同年代の方がよいだろ。『友達』は」

 ずんがらがっしゃん!

 リアクション芸人さながらに、化粧台を巻き込んで転倒する真珠。
 その盛大な反応に驚いたのか、初めて少女が『ビクッ』と感情を見せた。
 真珠の投げる化粧ビンが、極めて正確に当主を狙う!
「出て行けですぅー!」
「ぐぁぁああ! 丈斗、逃げるぞ!」
「え、僕も?」
 当主に手を引かれて屋敷の廊下を走りぬけ、曲がり角を曲がったところで、当主はやっと立ち止まった。
 ぜぇぜぇと肩で息をしている。
「け、ケガはないか……丈斗……ぜぇっ、げへっ、ごほ」
「……父さんの方が心配だよ?」
「ふっ、問題ない。ただの運動不足だ、ぐふっ」
「運動不足って後頭部から血が出るの?」
「じゃじゃ馬は嫌いではない。あれぐらい元気な方が、やりがいもある」
 香水のビンの直撃で負傷した当主は、不敵な笑いともに廊下を(ふらふらと)歩いていく。
 その隣に付き添いながら、丈斗は言った。
「あの子、だれなの? 新しいメイドさん?」
「うむ。凶暴な方が『真珠』、おとなしい方が『リリィ』だ」

 ――リリィ。

 儚げに立ち尽くす彼女の姿と、聞いたばかりの名前を、頭の中に焼き付ける。
 ……あの子、リリィって言うんだ。
 無意識のうちに、顔が赤くなっていたのだろうか。はっと当主を見上げると、彼はニヤニヤ笑っていた。
「ほほぅ。孫の顔を見るのも、そう遠くなさそうだ」
「え? ま、まご?」
「まぁ、手を出す時には慎重にするがよかろう。あの従者は手ごわいぞ」
 当主の言葉で、ふと気がついた。
 真珠が、リリィの髪をすいたり、身だしなみを整えている様子。あれはメイド同士には見えない。
 少なくとも丈斗は、伊月家のメイド達が、あんなことをしているところは見たことがない。
 あれでは、まるで――お嬢さまと、お付きのメイドのような。
「ふむ。勘付いたかな」
 当主は、ほくそ笑みながらつぶやいた。

「真珠はつい先月まで、別の屋敷で料理長をしていた。
 その屋敷の名は、ソラツオーベル家。
 ――リリィ・ソラツオーベルは、そこのひとり娘だ」

 じゃあ、どうして、うちに。
 そう聞こうとした時、当主は振り向かずに告げた。

「病死したからだよ。
 当主、メイシア・ソラツオーベルがな」




◆◇◆◇◆◇



 次の日、食事のレベルは如実に上がっていた。
「……おいしい」
 思わず、丈斗はつぶやく。
「おそまつさまでございますぅ」
 ぺこりと頭を下げた真珠は、相変わらず間延びした口調ながら、どこか誇らしげに感じた。
 ……リリィは今まで、毎日こんなものを食べていたのか。
 チラ、と食堂の壁際に視線を向ける。
 一列に、ずらりと並んで控えた中にポツンと混ざったリリィは、しかし、うつむいたまま動かない。
 丈斗は不意に、彼女の母が亡くなったことを思い出した。
「……そっか、だから……」
 何も言わない、見ようとも聞こうともしないリリィの姿に、丈斗もまたうつむいてしまう。
 一方で、当主の声と、真珠の間延びした声が食堂に響いた。
「これは何でできているのかね?」
「旬の山菜とハーブ、生ハム、ラズベリーでございますぅ」
「ほぅ、見た目では解らんな。生ハム以外は、庭で取れそうだ」
「大変でしたよぉ。料理長が、冷蔵庫もレシピも使わせてくださらなくてぇ」
「――ばっ……!」
 控えていたメイドのひとりが目を剥いたが、真珠は「あれれぇ?」と人差し指を唇に添える。
「これ、内緒の話でしたっけ? ごめんなさぁい、忘れてましたぁ」
「ち、ちがうんです、旦那様! これも本当は全部わたしが!!」
「ウソはよくないですねぇ」
 それまで片時も笑みを絶やさなかった真珠は、すっと目を細めて料理長を見た。
「……どうやって作るんでしたっけ、これぇ?」
「ほぅ。それはぜひ聞いてみたいものだ」
「なっ……あっ……そ、それは」
 答えられず、沈黙してしまう料理長。

 大人が気まずい雰囲気になっている間、丈斗はできるだけ静かにテーブルを離れ、リリィに駆け寄った。
 料理の乗った皿を差し出す。
「こ、これ……やるよ」
「……?」
 ぼんやりと顔を上げたリリィは、微かに小首を傾げた。
 ゆっくり、首を横に振る。
「え? いらないの?」
「……」
 今度は、ほんの僅かに首を縦に動かす。
 と、同時に――
「……けふっ」
 堪え切れなかったのか、小さなげっぷが出た。
 考えてみれば、あれだけリリィを溺愛している真珠である。
 となれば、彼女が真っ先に手料理を食べさせるであろう相手は――
「……もう食べたの?」
「…………」
 ふい、とリリィはそっぽを向いた。内緒だと言われたのだろう。




◆◇◆◇◆◇




 ――その日の夜。

「まったく、もう……トイレぐらい、1人で行って欲しいものです」
「う、うるさいなぁ……」
 夜勤中だった警備担当の女性士官に付き添われながら、丈斗は言った。
 懐中電灯で廊下を照らしてくれる女性士官――むしろ、年の近い少女だが――は、ため息をつく。
「だいたい、次期当主殿の部屋には、専用のトイレがあるのでは?」
「広すぎて怖いんだよ。鏡も大きいし」
「ああ、鏡が怖いのですか。気持ちは解りますよ」
 彼女は肩をすくめた。
「とはいえ、私もここに来て日が浅い。館内の間取りには明るくありません」
「まぁ、夜だからね」
「ツッコみませんよ。……とにかく、私と一緒だと、かえって迷子になる危険も……」
 そこまで彼女が言った時、不意に、丈斗は我に返った。
 ……周囲が、非常に暗い。
 廊下の燭台どころか、窓の月明かりもない。懐中電灯の光しかないのだ。
 丈斗はとっさに、どんどん進もうとする女性士官にしがみつく。
「ひゃっ!? な、何ですか! 私にそんなことしたって何も……!」
「ここ……どこ……?」
「え?」
 沈黙が流れた。
 ひんやりとした空気。まるで、日の当たらない土の中だ。
 女性士官は、ぐっと懐中電灯を握り締めた。
「だ、大丈夫だ。……いや、大丈夫です。ゆっくり、来た方向に戻りましょう」
 丈斗と手を繋ぎ、ゆっくりと道なき道を戻る。
 そのうち、遠くに明かりが見えた。
「! 明かりだよ、ミティア!」
「だ、ダメだ! いや、ダメです! 勝手に動いたら!」
 女性士官は――ミティアは、慌てて丈斗を追いかける。
 追いついたのは、ちょうど明かりの漏れている場所――半開きのドアの前だった。
「ここは……?」
 丈斗を捕まえたミティアは、そっと部屋の中を覗き込む。
 中には、ワイングラスを手にした当主。
 メイド服の上から白衣を羽織った、小柄な少女。
 それに、巨大なパイプの繋がった、おおきなガラスの筒があった。
『出して! 出してください、旦那様!』
 高さ3メートル、直径1メートルはあろうかというガラスの筒には、あの料理長が閉じ込められていた。
 泣き叫びながらガラスを内側から叩いているが、頑丈なガラスはビクともしない。
「父さ…」
「しっ。お静かに、次期当主殿」
 声を上げそうになった丈斗を、ミティアが押さえた。
 嫌な予感がした。
『お許しを! どうか、どうかお慈悲を……!』
 閉じ込められた料理長は、虫かごに入れられた虫がするように暴れ回った後、観念したかのように泣き崩れた。
 当主がワイングラスを揺らすのを、白衣の少女は視界の端で確認すると――手元のパネルを操作した。

 ガラスに繋がれたパイプから、どろどろしたスライムのような物体があふれ出してくる。

 そのスライムは怯える料理長に絡みつき、身動きを封じると、一部を顔の形に変形させた。
 料理長そっくりの顔が、からかうように舌を出して見せる。
『ひっ……!』
 声にならない悲鳴をこぼす料理長。
 スライムは再び不定形な液体に変化すると、今度こそ料理長の全身を飲み込んだ。
『やべでぇ! だずげで……だじでぇぇ……!』
 半透明のスライムに包まれた料理長は、自分では身動きが取れない。
 もがこうとするのを、強引にスライムによって操られる。
 彼女は、かかとをぴったり合わせて両手を体の前で重ねた、控えのポーズを取らされていた。
「顔はどうします」
「構わん」
「かしこまりました」
 白衣の少女と、当主が短く言葉を交わす。
 まだ何かスライムの中で泣き叫んでいる料理長。それを包み込むスライムの色が、青から赤に変わっていく。
 料理長の断末魔は、スライムと分厚いガラスに遮られた。

 料理長の体が、足先から……髪から……肩から……徐々に、灰色になっていく。
 同時に、スライムはむくむくと大きくなっていった。

(――水分を吸収している!?)
 さすがのミティアも目を見開いた。声を出さず、息を潜めるのがやっとだ。
 丈斗、ミティア、それに当主。
 関心なさげな白衣の少女以外が見つめる中で、料理長は灰色になる。
 チン、とレンジのような音がして、ひと回り大きくなったスライムがパイプに戻っていくと……
 ガラスの中には、首から下はお行儀よく、首から上は泣き叫んでいるメイドの石像が残されていた。
「ふん……なかなか、悪くない仕上がりだな」
「はい」
「オークションにでも出品しておけ」
「かしこまりました」
 石像を見つめる当主と、それに付き従う白衣の少女。
 その光景を、丈斗とミティアが呆然と眺めていた、その時――

 ぽん、とミティアの肩を誰かが叩いた。

「――――!?」
「しー、ですぅ。オバケじゃないですよぉ」
 音を立てないように振り向くと、そこには真珠がいた。
 丈斗を連れて、そっとドアから離れる。
「……誰だ、貴様。見ない顔だな」
「ふぇぇ、ひどいですぅ。料理長の真珠ですよぉ」
「料理長……」
 先日、新しく来たメイドが、えらく腕のいい料理人だとは聞いた。
 つまり、石像にされた方の『料理長』は……。
「用済みというわけか……」
「あ、あの、真珠……さん?」
「真珠でいいですよぉ、ぼっちゃま」
 敬称をとってつける丈斗に対して、にっこり笑う真珠。丈斗は真珠を見上げた。
「どうして、ここに?」
「うーん……たぶん、ぼっちゃま達と同じですねぇ」
 困った顔をする真珠に、丈斗とミティアが呆れ顔になった。
「トイレ、行けないんだ、真珠……」
「鏡が怖いのですか、真珠殿……」
「へ?」
 わけが解らず、首を傾げる真珠。
 何事か考え込んでいた彼女は、ぽん、と拍手を打った。
「とりあえず、ここから出ましょー。わたし、鼻が利くんですぅ」
 すんすんと鼻を鳴らす真珠。
「……あ、こっちから、お夕飯に使ったブルーベリーの匂いがしますぅ……」
「だ、大丈夫なのかな?」
「まぁ……大声を出すわけにも行きませんからね」


 ふらふらと歩き出す真珠の後をついて、進むこと15分。


 3人は、いともあっさりと地下室から脱出することに成功したのだった。






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